なぜ多くの日本人はカウンセリングに行かないのか? 

 

ぽむ
今日は珍しく質問コーナーだね。

 

山口のぶき
ぽむ~。嬉しい質問もらったよ〜。

 

ぽむ
僕も質問あるんだけど….

 

今回は頂いた質問にお答えします。

なぜ日本ではカウンセリングが
広まらないのでしょうか?

その改善方法は?

 

心理学系の学部を志望している受験生からの質問

質問をメールで頂きました。

とってもいい質問だったので
掲載許可を頂きました。


私はカウンセリングというものを一般的なものにしたいと思っています。その理由としては主に2つあります。1つ目は「心に葛藤を抱えている人が今よりもっと気楽にカウンセリングを受けようと思えるようにしたいから」

私も実際にカウンセリングを受けたことがあるのですが、周りの人から冷ややかな目で見られることが多いように感じました。そして、アメリカでは日本と違い、カウンセリングは日本よりも普通の行いとも聞きます。

2つ目は、「カウンセリングを一般的なものにし、臨床家の需要を高め、仕事を増やし、経験を積み、クライエントにより質のいいカウンセリングを提供するため」山口さんも仰っているように、カウンセラーが臨床力を上げるためには経験が不可欠であり、その為にお金が必要なのだが、カウンセラーの供給が需要を超えており、その為仕事がなく為貧になってしまう。

だからこそカウンセリングというものを一般的なものにし、クライエントを増やすことによってカウンセラーの仕事が増え、カウンセラーが沢山経験を積めるようにしたいと思っています。

そこで、質問なのですが、カナダではカウンセラーの社会的地位も日本より高く、需要もあり、カウンセリングを受ける事は日本よりも一般的だと記事に書いておられましたが、山口さんが感じた日本とカナダにおけるカウンセリングの在り方、またはカウンセリングを受ける事に対してカナダではどう思われているのか、日本ではどうなのか。という事を教えて欲しいです。

また、日本がカウンセリングというものを一般的なものにする為に必要な事、または障害となっている壁を教えてください。

 

山口から返信させて頂きました

メールありがとうございます。

心理学を大学で学ぶ前に、このような質問を考えること自体が素晴らしいですね。最近は、だいぶ日本でもカウンセリングが浸透してきたようにも思います。

例えば、職場で鬱ということになれば、専門家にかかった方がいいと流れになってたりしますよね。カウンセリングを受ける人も10年前とか、20年前よりは増えているようにも思います。

でも海外(北米など)と比べるとまだまだです。

受ける側のカウンセリングに対する考え方も消極的というのもあるし、提供する側が効果的なセッションを提供できないから
口コミも起こらないし、広まっていかないというのもあると思います。

なぜカウンセリングが広まらないのか? 日本と海外の違いは? 広めるために何ができるのか?

この辺をいくつかのポイントでまとめてみました。

 

カウンセリングを受けても「効果なし」

まだまだ傾聴中心の言語レベルのカウンセリングが浸透している日本では効果的なセラピーを提供している人が本当に少ないと思います。

ソマティックなセラピーとか色々なアプローチがありますが、提供する方のスキルアップが重要ですよね。

心理学の先進国(北米)とかでも心理カウンセラーに対して批判的な人も多いです。あんなものに行っても仕方がないというように。メディアでもそう言われたり。

まあ、それだけ心理カウンセリングって難しいことなのだとも思います。それと、カウンセラーが治すわけではないですよね。

クライアントとカウンセラーが一緒になってやっていく作業ですよね。というのもあるけど、効果的なセラピーを提供できない人が多すぎる現状があるのだと思います。

 

何を話せばいいのかわからない?

カウンセリングに行っても何を話していいかわからないと思っている人もおられると聞いたことあります。

この辺を教育するというか、しっかりお伝えする必要があるのではと思います。このようなこと話しますよってなんとなくカウンセラーがメルマガやHPなどで伝えてくれてたら、もうちょっとトライしてみやすいかもしれません。

どんなこと聞かれるのか全く想像つかないと飛び込めないですよね。そうするとカウンセリングを受ける人が相対的に減りますよね。

占いに行く人の方が多いのは、答えをくれるから楽なわけですよね。私自身はメルマガやHPで色々お伝えさせてもらっているので、初めて受けるクライアントさんは

どんなセラピーで何を話していいかわからないみたいな緊張はないです。それよりも本当によくなるのか? 期間はどれくらいかかるのか?

実際にスカイプや対面で会うことに緊張するというのはよくあります。

 

しばらくカウンセリングを続けると話すことがなくなってくる!?

傾聴中心のカウンセリングだと一通り話すと、話す内容がなくなってくるというのがあります。

3回くらいのセッションで過去のことを大体話終えると、話すことがなくなってくる。そりゃそうですよね。

そして、効果がないとわかって継続しない。よくならないので友人知人に勧めようとも思わないですよね。

人に勧めないという部分は、次にお伝えする恥の文化とも関係してそうです。

 

カウンセリングが広まらないのは「根深い恥の文化」

障害となっている壁、、、日本の文化的なことでしょうか。

恥の文化が根強いことも関係してそうです。恥ずかしいことは家の外に漏らすなというような。家族の恥だから….みたいなこともありそうです。

周りと同調して、うまく溶け込んで、人間関係がうまくいくということ。そんな価値観がまだ根強くあるから、変わった人は受け入れられにくい。

今回、質問してくれた学生さんも冷ややかな目でみられたと言っていましたよね。

 

日本人はシャットダウン系が多いから?

恥が強い日本などはトラウマにあうと、戦ったり、逃げたりするより、シャットダウンする傾向が多いのもあるかもしれません。

海外なんかでは言いたいことを平気でバンバン言ったりします。それが年上であっても。

でも日本では相対的に嫌なことやトラウマがあった時、我慢してしまう傾向が強そうです。

感覚を麻痺させたり、感情を抑圧したり、人に知られたくなくてそのような行動になったり。

もちろんシャットダウンすることは自然な反応なので、それ自体を悪いことだとか言ってるのではなく、恥の文化が強いと、そのような傾向が強いのかも、と考えてみているだけです。

 

カウンセリングが普及しないのは「日本の縦社会」

日本のように縦社会の傾向が強いと保守的になって、今まで通りのやり方でいく方が無難となりますよね。

上司が言うから。先輩が言うから。今までの伝統とか。この辺は、カウンセラーを教える先生と生徒という関係でもみられます。

例えば、学生、大学院生がソマティックな心理学を学びたくても、大学の教授がそういうことに抵抗があると、学びたい、研究したいと言えない環境があると思います。なので教授は、自分の専門、今までのやり方を教える人も結構おられそうです。

例え新しいやり方が、効果的でもそれを教えることは自分の立場が….みたいなこともありますよね。縦社会が強いとなかなかいい変化が起きないのかもしれませんね。

 

カウンセリングは心読むメンタリズム?

カウンセリングって、DAIGOのメンタリズムでしょ。というのがあるらしい! 嘘でしょ! って耳を疑います。でも、一般の人の中には、そう思っている人もいる。

確かに昔、「私カウンセラーです」って言った時に、真面目な顔で「今、私何考えてるかわかるんでしょ」って言われた。このブログを読んでいる人は、そんな感覚ないと思います。だって私たちは、心理の業界のこと一般の人より知っているから。

メルマガの読者さんより、カウンセリングをメンタリズムと思っているというご意見もいくつか頂きました。


「これは少しネタのような感じですけど、友人と会ったときに職業の話をすると、かなりの確率でメンタリストDAIGOさんの話になります(笑)「わー心読まれてるかも。どうしよう。やばー」という感じで。認知度はそんな感じなのかなという印象です。」


支援者にとっても(カウンセリング=心読む人)という考えの方が、世の中にそれなりにいるということを知っている必要がありそうです。

まあ、カウンセラーは心は読みませんが、表情とか仕草とかふんわり伝わってくるもの、それを感じ取るという意味ではメンタリズムと共通しているところもあるのかもですね。一般の多くの人にとって、心理士とか、心理学とか、心の問題みたいなことは、、、無意識に抵抗が起こるのかもしれません。

何か奇妙なこと、よくわからないものであり、無意識に脅威を感じている。なのでメンタリズムみたいなものか!ってカテゴライズすると楽なのかもですね。人はみじかに見るわかりやすいものを当てはめて物事を理解するという傾向ありますよね。

 

カウンセラーや医者からの二次被害

こんなご意見もありました。


「今まで精神科の医師からひどい目に遭ってきたため、自分に合ったカウンセラーを探す勇気が持てません。患者を平気で傷つけるのはいつも男性の医師でした。もしかしたら、男性と密室で二人きりになることに苦痛を覚える女性は少なくないかもしれません。」


こういった意見多かったです。ダメダメな支援者がいること、本当にごめんなさいね。

私が謝ってどうこうならないのはわかっていますが、、、支援者から、大事に接してもらえないこと、本当に傷つきますよね。

支援に繋がろうとすると行動にブレーキがかかりますよね。他にも、、、


「私はスピリチュアル系のカウンセラーに電話で相談したことがありました。タダの世間話で終わってしましました。それで8000円も支払うことになりました。その結果家族からはカウンセラーの信用がイメージが悪くなり、私が他のカウンセラーと話したいと相談しても家族からは反対されるようになりました。」


支援者側に意図があって、「普通の会話」をすることは大事ですが、1回目のセッションで世間話ばかり、というのは有り得ないです。

こういうようなことが日本各地で起こると、悪い口コミが広がるのだと思います。「カウンセリング受けても、、、」みたいな。

そんなヤバイ支援者が、日本に3割、いや、1割でもいたら、よくないイメージが広がりますよね。

日本は特に悪い口コミが広がりやすい国柄というのもあるような気もします。結構いい支援者もそれなりにいるのに。業界自体の教育、底上げをする必要がありそう。

 

どのような姿勢でカウンセリングに望めばいいのか?

日々クライアントさんに向き合う支援者の立場からのコメントも貴重。今まさに、トラウマと向き合ってたり、苦労して、ある程度、回復してきた経験を元に語る内容も素晴らしい。

まず、クライントはどのような姿勢でカウンセリングに望めばいいのか? ちょっと厳しいと感じるかもしれません。でも大事です。


「カウンセリングは、そもそも治そうとする人が行って効果が出るもの。治そうとする意思をもてる人が少ない。持つ人はいくし、セラピストも治療方法も探す。」


そう思えない状態の人もいるのもわかっています。ただ、大事な視点ですね。

 

メルマガ読者さんより他にも沢山の大事な視点を頂きました

クライアントに合わせて思考、感情、体の感覚、その3つにどうアプローチしたらいいのかを知るカウンセラーが少なすぎます。脳の性質、神経の性質、めっちゃ大切です。この話を説明できるカウンセラーがあまりにも少なすぎて、クライアントに無理をさせたり、傷ついているケースも多いと思います。


いつもメルマガありがとうございます。いつも、記事読んでいますよ^^)

心のメンテナンスの必要性を感じない。車とか、少しこすっただけでも大騒ぎして、修理するわりにかなり傷付いても、そこは労らない。心を大切にする習慣がない気がします。そもそも、心をケアしなくては、という必要性を感じていない。

感情を抑圧するのが上手だし、相手にも抑えさせると思います。だから、深刻になって、自殺したりする。自殺するまで我慢する、我慢させる。体の定期検診はあるのに、心はないですよね。カウンセリングは、そもそも治そうとする人が行って効果が出るもの。治そうとする意思をもてる人が少ない。持つ人はいくし、セラピストも治療方法も探す。


海外在住です。カウンセリングを受けています。

本当は受ける必要なんてないし、ただ興味があったので、どういうものか、と思って受けてみたら目からウロコ。すごく面白かったので、そのまま続けています。私は比較的問題がないほうだと思いますが、それでも「超えられなかった何か」をとてもわかりやすく、論理的に、説明してくれました。

ファンとスターという傾向も強く、一人のカリスマに会いたくてお客さんがついたりする。「その人が直してくれる。その人にあえばなんとかなる」という依存もあるのだと思います。でも、これもまずは土壌がないから、カウンセリングってなに?というエデュケーションが行き届いてないだけなんだと思う。


いつもメルマガから記事を拝見させていただいてます。私は患者側(DDNOS)の者です。

恥が強い人や1度でもカウンセラーに不透明感を感じたことのある人は、悩みを一人で抱え込む事を選ばれるのではないかと思います。”みんな同じ”や”私だけじゃない”といった我慢の同調性圧力と事無かれ主義を、多かれ少なかれかけられているのが日本人だと思います。

治療を受ける決心をし、生活保護を受けるために声をあげ、生きる権利を勝ち得たサバイバーもいます。それでもカウンセリングは医療対象外とされ、気休め程度の薬を出す精神科に回されます。治療の為に1ヶ月分の食費を一回のカウンセリングにトライするのは勇気というより博打です。

山口さんがだいぶ前に仰っていた国の福祉への援助が少ないと言うのは本当に致命傷レベルだと肌で感じている今日この頃です。


聞いたことあるのが、こんな酷い自分をみせられない。なんでも見抜かれる(エスパー?メンタリスト)と勘違い。あと友達いないやつ、相談相手いないやつが受けるものという印象がある。

わたしカウンセリング受けてると言ったら、日本の友人「え?病気なの?」「うつとか?」
それに対して、アメリカ帰りの友人「へー!偉いね。さすが」このギャップ 笑


昔、自分がパニック発作をおこして、救急車で運ばれ「心療に回します」と言われた時精神科に入れられて出してもらえなくなると思い、点滴をぬいて逃げた覚えがあります。それからは自分はダメになってしまったという劣等感で立ち直れなくなりそうでした。

それからだいぶ経ちますが、心理学などを学んできて、今はカウンセリングを広める為にいろいろなことをこれからもやっていけたらなあと書きながら思いました。


クライアント視点なので、セラピスト側の方には読みずらいかもしれませんが、悪しからずです。

カウンセリングは、精神科医などの下の位置付け。かつ精神科のイメージ・存在が刑務所・収容所レベルに悪い。つまり、カウンセリングに掛かりたい場合、必ず、「病名」とか「投薬」とか、不随させらる。カウンセリングだけ、というのが普通に難しい。

ちゃんと大学などで基礎・理論などから学んでいない。療法も基礎のない自己満足なオリジナルで、でも料金は非常に高額な無資格カウンセラーがほとんど。時間も短い。保険も利用できない。

性暴力が性暴力である、という意識も希薄。男尊女卑の意識も根強い。その為、性暴力被害の考え方が、とても偏ている。例えば、男性も被害者になることとか、女性も加害者になることとかそういう理解にまで至らない。その知識が、治療者、支援者にない、或いは薄い。カウンセリングに行っても、傷付くだけ、というのが当たり前にあり、自助グルプのサバイバー繋がりでもそのようなシェアが多い。


施設で心理士として働いている者です。毎回、メルマガなどでセラピーにとって、またトラウマへの治療に対しての大事なエッセンスを勉強させてもらっています。

インパクトを与える人物もしくはキャラクターの影響力(錦織圭など)
単純に裾野を広げるには、インパクトを与える人物のそんざいは大きいかなと思います。SNSを利用した発信も大きいのかも。

お金などの問題(本当に必要な人に届かない)
生活保護などを需給してる人、虐待通告をされた親は金銭面や制度面で足りてないと思います。例えば虐待をして子どもと引き離された親に対して児童相談所のケースワーカーは、親へのアプローチはしたくても出来ないことが多いようです。100件以上のケースを抱えてることもあるため。そんな親に対して、本当は世代間のトラウマがあったりするのに、中々金銭面と制度面で壁を感じます。


 

■治りきるまでがイメージできない。カウンセリングの内容や効果が想像できない。

■日本はセラピストのレベルが低すぎるかも。自分の問題を治しきって、癒しきってセラピストをやる方が少ない。メサイアコンプレックスからセラピストをやっている人がたくさんいるのでは。顔やからだの表情が不健康な人が多い。目に光のない人や左右差のある表情の人が多く、まるで治療者ではなく患者。知識面も、十分な人は海外での勤務経験がある人だなあとおもう。セクシャルなことの対応やトラウマへの知識は、セラピストなら当たり前にもっている、というレベルには遠い。

■解離をつかう世界が、慰めになっている。たとえばアニメやゲームやアイドル産業。解離した当事者の、解離の才能(別名は創造性)が、誰か生命エネルギーの枯渇した人を生かしている。

■芸術では解離を、創造性を発揮する脳機能として教える。医学やセラピー空間では使いすぎの解離を病理ととらえる。どちらも正解なのだが、敬意を払わない後者は解離の深い人からすればムカつくのでは。しかし、神聖視しすぎる芸術のワールドも、問題は抱えていると私は感じる。解離をつかいつづける限り、なんらかの虐待をしたり、特に立場が違う人への対人トラブルは抱えると思う。クリエーターは自殺衝動も抱えている人であふれているし。

■こんな高額を払ってこれかよ、みたいな、じわっとした効果だから。というより、真剣に自分を癒そうとしている身からすると、セラピストができることは2%以下。そのくらい本気の人は自分でやっている。邪魔だけはしないでくれ、ぐらいな感覚の人が、つまり、コップに水が半分あって、多い、少ないと、嘆いたり喜ぶのではなく、蛇口はどこですか?と自分で水を手を挙げて水道を探しに行く人が治るのだと思う。

■カウンセリング業界以外に友達いるのかなこいつ、と思うようなコミュニケーション能力の人がいる。幅広い言葉の使い方や、社会常識や、楽しみを、友達をつくってしってほしい。患者じゃないんだから、もっと社会や人生を信じて楽しんでいてほしい。それは伝わっていくと思うし。

■完治ではなく寛解、までがたいていセラピストに、つきあえる範囲かなと思う。患者の癒しの旅の一部につきあっているにすぎないことを自覚していれば、患者自身の才能を使わせようとしたり、救済する、みたいな寝ぼけた発言はなくなるのでは。

■自分の傷に正面から向き合った人、世代、文化に育てられていない

■セラピーを受けている人の話が人によってちぐはぐ。回復段階や傷の種類によって、セラピーについての考えや感想が変わることがわかられにくい

■トラウマケアは、人間にとって、最も過酷なことだから

■話をきいてくれたり味方してくれる人が、お金で関係を買うセラピストくらいしかいないことを認めるのが苦しいから

■相性のわるいひとにあったとき、そこでセラピーをあきらめてしまうから。セラピストにも三流や、ダメなやり方のひとも不勉強者もいるし、相性もあると、もっと正直に宣伝してほしい。

■いいセラピストは都市にいるイメージがつよい。数も少ないのでは。地域に凄腕のひとが何人も何十人も何百人もいる、というトラウマ先進国とはちがう。

■セラピストは、学生同士のときなどをイメージして、プライベートで、一緒にご飯にいったとしても、悩みをうちあけられたりするか自分を振り替えってほしい。人柄をかってもらえる人なのか?

 

もっと普及する解決案も頂きました

「取材をよくされて、とてもリアルな現場を描く心理士の漫画や書籍などがヒットすればいい感じもしますが。それもそれで怖いですけど。」


「もっと裾野が広がって、カウンセリング人口が増えれば、一点集中型の人気商売的なカタチのカウンセリング/ヒーリングではなく、町医者さんみたいにできてくるのではないかと希望的に思います。」


「塾講師の、勉強アプリ登録のような制度で、利用しやすいカウンセリングがあったら違うと思う。Skypeごしで顔をみながら、もいいけれど、ばんしょのような、ホワイトボードと、ノートと、音声を共有できるようなやり方のカウンセリングもあってもいいのかなと。LINEのほうが話しやすい人や人格も存在するように、セラピーの方法も多様で、色んな時間帯に利用できるようなものだといいのにとたまに思う。ご飯食べてるか、寝れてるか確認するだけの10分カウンセリングがアプリでうけれるとか、そういう柔軟性。がっつりセラピー、という感じだから、準備ができたひとしかいく気にならないのでは?」


大事な視点ありがとうございます。

質のいいカウンセラーが、町医者のように地域に存在することは目指すところなのかと思っています。

時代の流れもありますし、スカイプのカウンセリングが出てきたように、手軽に受けれるカウンセリングもあってもいいのかもですね。

アプリでさらっと受ける、みたいなことから始まり。慣れてきたらスカイプやTELで。最終的には対面もありみたいな。

 

メルマガ読者さま、
沢山の貴重なコメント

本当にありがとうございました。

 

質問くれた学生さんへ

最後に、学生さん、いい質問ありがとうございます。

あなたの質問からこの記事を書くことになり、多くのメルマガ読者さんに意見を頂きました。あなたの一歩からみんなで作りあげることができました。将来、一緒にこの心理の業界を成長させていこう。

また何かあったら連絡くださいね。

オフィスPomuの山口より

 

 

ぽむ
僕の質問は、聞いてくれないの?

 

山口のぶき
わかった。おやつをもっと貰うには? みたいなことでしょ(笑)

 

ぽむ
へっへっほ〜(笑)

 

山口のぶき
図星か〜(笑)