なぜPTSDになる人とならない人がいるのか? 通勤中の衝撃の出来事⋯⋯

 

こんにちは。

オフィスPomuの総合トレーニングに参加した臨床心理士の水澤です。

同じ出来事にあっても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる人とならない人がいます。

その違いはなんでしょうか?

ポリヴェーガル理論で考えると、耐性領域が広い人はPTSDになりにくいと言えます。

俗に言うストレスに強い人ですね。

他にはどんなことが関係してくるでしょうか?

 

実は先日、衝撃の出来事が起こりました!

一歩違えばPTSDになったか、あるいはフラッシュバックが起きていたと思います。

でも私に症状が出なかったのす。

それは、ある一つのことがあったからなのです⋯⋯

 

通勤途中に意識消失 倒れた?!

 

事件は平日の通勤途中に起きました。

実は前夜から不調でした。

身体に力が入らない感じ、背面がゾワゾワする感じがありました。

滅多にそんなことはないので21時前には寝て翌日に備えました。

朝、やっぱり調子悪い。

お腹も嫌な感じがするので、朝は水分だけにしました。

調子が悪いまま、家を出ました

職場へ向かう電車の中で、吐き気が出てきました。

「できればうずくまりたい⋯⋯」

「でも急病人発生となり電車を止めてしまったら多大な迷惑をかけてしまう⋯⋯」

手すりを持ちながら必死で立っていました。

 

 

あと少しがんばれば職場へ着くから、あとすこし、あとすこし、と思っていました。

同時に、冷静な自分もいました。

通勤すると吐き気に襲われるクライエントさんのことを思い出していました。

彼のつらさが実感を伴って理解できました。

こんなにつらかったのだ。今度シェアしよう、などと考えていました。

セラピストモードの自分がいました。

そして、自分自身に今できることを探りました。

「そうだ、お腹をさすって、意識を手とお腹の部分にやってみよう」

「気持ち悪さとは違うところへ意識を向けてみよう」などとやっていました。

こんな時でも「実践」は欠かしません(笑)

そうこうしているうちに、なんとか最寄り駅につきました。

私は電車から降り、改札へ向けて歩いていたはずでした。

ところが、そこから意識がなくなり⋯⋯

 

 

パニック 頭が真っ白に!?

 

駅のホームで意識がなくなり、倒れたのです。

夢うつつでいると、遠くから誰かが話しかけている声が聞こえました。

うっすら目を開けると、目の前の人が何か言っています。

「大丈夫ですか?」

その言葉が入ってこず、まず横たわっている自分に気づきました。

どうやら倒れたらしいと理解しました。

出た言葉が「わたし、倒れていましたよね?」でした。

(注 実際はまだ倒れたままです。)

とにかく私は混乱していました。

 

目の前のその方は作業服を着ていました。(以下、Aさんとします。)

ぼんやり、工事の方かなと思いました。

Aさんは、「そうですね。倒れたみたいですね。」

「担架を持ってきましょうか?」と言っています。

「・・・(いつもより答えるまでに間があります)・・・い、いえ、歩けます。」

Aさんは、駅員さんが来るまで一緒にいてくださいました。

駅員さんが来ると、担架か、車椅子は必要ですかと聞きました。

私は「歩きます。」と答えました。

救急を呼びましょうか、とも聞かれました。

これもお断りしました。

駅構内で少し休ませていただくことになりました。

おそらく5分くらいのことだったと思います。

 

今となっては冷静に振り返って書いてますが、

その時は、ただただ混乱していました。

現実に理解が追いつかないのです。

でも私が大きなパニックにならなかったのは、

声をかけてくださったAさんの在りようだったと思います。

穏やかな表情をしていました。

落ち着いて話しかけてくださいました。

私の神経系を落ち着かせてくれたのです。

今でも、Aさんのまなざしと服の色を鮮明に思い出せます。

 

 

最強リソース登場

 

私の職場は病院。

駅からその職場へ電話しました。

体調不良で倒れたこと、仕事を休むことを伝えました。

同僚の方たちが動いてくれたのです。

職場のドクターが書いた紹介状を手に看護師のBさんが駆けつけてくださったのです。

脳を打ったので、検査をした方がいいという判断でした。

そこで、最寄りの総合病院まで移動することになりました。

タクシー乗り場へ移動中、Bさんがそっと私の腕に手を添えているのが分かりました。

 

 

まだいつ倒れるか分からない状況だったのです。

Bさんの手が触れている右手を感じていると、

心配してもらっているのが、じんわり感じられました。

Bさんはタクシーを待つ間、私の方を何度も振り返りアイコンタクトしていました。

 

 

ソマティックセラピーで大事なこと

 

話はそれますが、

クライエントが過覚醒あるいは低覚醒になることがありますよね。

そこで「今、あなたと一緒にここにいますよ。」と伝えるわけです。

トラウマ時は孤独だったかもしれない、

でも「今はカウンセラーと一緒にいる」と感じてもらうことが大事。

 

話を看護師のBさんに戻します。

弱っていた私にとってBさんと目を合わすことは「一緒にいるよ、大丈夫だよ」という風に感じられたのです。

暑い日差しの下、私の重い鞄を抱えて立っているBさん。

そんなBさんに向かって頷きながら、私は見守られていると感じました。

何も考えなくてもいい。委ねていいのだと思えました。

 

CTの結果、異常なく、そのままタクシーで帰宅しました。

脳の異状ではなかったことに少し安心しました。

帰宅してから、頭部と肋骨の痛みが徐々に増してきました。

でも意識消失したときのことを思い出しても、心身ともに落ち着いていたのです。

東京のど真ん中で、朝のラッシュ時に倒れるってインパクトの強いことです。

 

 

ピーターラヴィーン博士の「思いやりの力」

 

今回の事件を振り返った時に、思い出したことがありました。

ピーター・ラヴィーンのトラウマの本にあった「思いやりの力」についてです。

 

 

ピーターが交通事故にあったときの体験についてです。

歩行中のピーターは車にはねられたのです。

人身事故です。

麻痺と無感覚状態になったピーターでしたが、

偶然居合わせた女医さんが付き添ってくれたことで

救われたと言っています。

ある意味機械的に仕事をこなしていく救急隊の人たちと違って、

その女医さんはピーターに寄り添い、ただ手を握ってそこにいたのです。

その時のピーターの役に立ったのは、「思いやり」だったのですね。

外科的に処置が必要だったのはもちろんですが、

事故のトラウマには「思いやり」が特効薬だったのです。

 

 

リソースで認知も変化した

 

話を戻しますね。

今回、倒れた直後から駅員さんが来るまで付き添ってくださった作業員風のAさんがいました。

倒れた私に合わせるように、しゃがんでできるだけ目線を低くしてくださってました。

穏やかに、でも気づかうように話しかけてくださっていました。

その後、駆けつけてくださった看護師のBさんがいました。

Bさんも穏やかに私といてくださいました。

移動中、そっと添えられた手の感じがありました。

タクシーを待っている時も、アイコンタクトを繰り返してくださいました。

それ以外にも弱っていた私にかわり、

駅員さんとのやり取り、病院での手続き、職場とのやり取りなど全てやってくださいました。

物理的に助かりました。

でもそれ以外にも大きな意味があったのです。

 

私は公私ともに「誰かをケアする、物理的に動き回る」ことが多い立場にいます。

元々頼るより「自分でがんばる」方を選びがちなところもあります。

この日、Bさんに対して朝の忙しい時間に仕事を放り出してきてしまって大丈夫かな、

申し訳ないな、という思いがグルグルしました。

でも、もうこの人にゆだねようとも思いました。

その思いに、これまでと違う自分の在りようを感じていました。

弱っていたことは大きかったです。

でも、能動的に身を任せている自分もいました。

頼ることの心地よさも感じていたのです。

自分でがんばるべきという認知からの変化を感じた時でした。

リソースがあったことで、在りようも変えられたのですね。

 

帰宅してベッドに横になっていたときに繰り返しこの頼る心地よさを思い出しました。

Aさんのまなざし、Bさんが横にいてくれた感じがよみがえります。

そうすると、胸が何とも言えずあたたかくなってきました。

 

 

ありがたかったな。

彼らが一緒にいてくれたから、今大丈夫なのだと思うと感謝で涙がでてきました。

 

 

セルフパーツセラピー

 

感謝もありましたが、申し訳なさも感じました。

具合が悪かったのにカラダさんに無理をさせてしまった。

申し訳なさを感じて涙しました。

どんどん大きくなる頭部のコブに手をあてて話しかけたり、

痛みが増してきた肋骨に手を当てて話しかけたりしました。

「無理させてごめんね。守ってくれてありがとう。」

ここはセルフパーツセラピーです。

 

正直、身体は少し動かすだけで痛くて大変でした。

でも心は穏やかだったのです。

そこで、その穏やかさにアクセスしたりしていました。

穏やかさは胸のあたりのあたたかさにつながりました。

そのあたたかさとつながっていたのは、

意識消失後に声をかけてくださったAさん、

病院へ付き添ってくださったBさんの存在でした。

そして、人に頼ることができるパーツさんへと繋がっていきました。

衝撃的だった今回の事件。

でもそれを上回る人のリソースがありました。

しばらく寝る事しかできなかったので、セルフケアの時間をたっぷり取れたこともよかったです。

 

 

PTSDになる時とならない時は何が違うのか?

 

ソマティックセラピーの視点からみると、色々な要因があると思います。

今回は、人のリソースがあったことがとても大きかったです。

PTSDになる時とならない時、様々要因が関係しますが、

今回の事件を通じて、人が寄り添ってくれることの大きさを実感しました。

トラウマ級のことが起きたとき、そこに人のリソースがあれば、大きく変わる。

だからトラウマを抱えた人がセラピーに来るのですよね。

トラウマ時に対人リソースが足りなかったことをセラピーでやり直すのです。

今回のできごとはそれを実感させてくれるものでした。

あなたは自分のトラウマにどんなリソースをあげたいですか?