私はアメリカ3年、カナダ14年住んでいました。
カナダのブリティッシュコロンビア州の公認臨床カウンセラーとして約7年勤務した経験からお伝えします。
その勤務した職場が理想だったのです。でもイマイチだった部分もあったのです。
毎日が苦労の連続でした。
だから支援センターに勤めていた頃、優雅にみんなで写真を撮る、なんてこともなかったのです(笑)
支援センターのHPより、最近あった関係者の集まり。
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現場で働いてきたからこそ、リアルな声をお伝えできると思ったので、記事にしました。
コンテンツ
海外で心理士として働く(職場が理想だった理由)
性被害を受けた男性専門の支援センターで日々カウンセリングをしていました。
カナダのバンクーバーのダウンタウンにありました。
元々は、大学院のインターンシップでお世話になっていた職場でした。インターンから、そのまま運よくも働かせて頂くことになったのでした。
10名程度のカウンセラーが働いていました。そして、支援センターには何千万円という規模の助成金を毎年受けていました。
勤務していた支援センターは、今から思うと、とんでもない人たちが働いていて、理想の職場でもあったのです。
成長できる環境だったのが1番の理由です。その理由をお伝えしますね。
優秀な先輩カウンセラーが沢山いたこと
勤務先の先輩カウンセラーさんは、優秀な人が多かったです。
例えば、日本に講師として呼ばれるくらいのカウンセラーもおられました。
海外でも第一線で教える立場にある人たちも多かったです。大学で教えている人とか。
あらためて今思うと、すごい人たちです(笑)
そんな先輩たちにいつも相談できたことです。知識的にも精神的にもです。今でも新米だった頃を懐かしく覚えています。
クライアントとのセッションが終わって、イマイチだと感じた時、、、隣の部屋に代表のドン先生がいます。
「ドンさん〜、セッションでこんなことあったのですが、、、」 というように私は泣き言をブツブツ(笑)
すると、ドンさんは、「そのような場合は〇〇にアプローチするのがいいよ」
新米だった私は「えっ、そんな方法、聞いたことない!」てな調子です(笑)
ドンさんも面倒見がいいので、その後、その〇〇についての講義が、30分とか1時間くらい。そんな私に付き合ってくれたことが理想の職場でした。
働きはじめた頃はしょっちゅうでした。2年目でも、3年目でも、ふとした時に相談にのってくれました。
相談に乗る経験を積む
私も働いて数年経つと、一丁前に勤務したての、新米カウンセラーの相談によくのってあげていました(笑)
勤務し始めた頃の苦労が痛いほどわかるので、何とかサポートしたくなるのでした。このような経験は、今の支援者をサポートすることにとても役に立っていると感じます。
トラウマセラピーをやり始めた頃って、自分のあまりにものスキル不足に嫌気がさすんです。
私が相談に乗った新米カウンセラーさんたちもそうでした。どうすればいいかわからない、という相談が多かったです。
もちろんカウンセラーがクライアントを治す、ということではないのですが、トラウマやPTSDの対応は、より専門的な知識と「能動的」な関わりが必要になります。
傾聴や言語レベルのカウンセリングでは、ほとんどよくならないからです。トラウマが重ければ重いほど、特殊なのです。
海外のトレーニングや講座などで学んだことも大きいですが、そんな職場のコミュニティーで計り知れない恩恵を受けたと感謝しています。
まだまだ職場が理想だった理由、続けますね。
家から歩いて3分の職場
家から、その職場まで300メートルでした。
信号が青で、全速力で走れば、1分以内です(笑) バスや電車に乗らなくていい職場は理想です。
結構激しめのセッションのあとは、もうちょっと長めに20分とか歩いて帰る方がリラックス出来ていいような気もしていました。
贅沢な悩みです(笑)
月1回のスーパービジョンがすごかった
毎月ちょー優秀なスーパーバイザーが職場である支援センターに訪問してくれていました。
勤務している10名のカウンセラーがみんな集まります。
想像してみてください。
すでに優秀な先輩カウンセラーたち、そしてその人たちにアドバイスする「さらに」優秀なスーパーバイザー。
レベルが高すぎて、はじめの頃は、何を話しているかついていけませんでした(笑)
ただ、精神誠意、懸命にやっていると、ちょっとずつわかってきたんです。まるで修行のようでした。苦しい部分もありましたが、充実もしていました。
新米だった頃、その場で私がケースの相談をすると、全然うまくできてないのが伝わってるんだけど、みんな優しく丁寧に1つ1つ教えてくれました。
3年、4年もすると「いいアプローチですね」なんて褒めてもらえたりすることも嬉しかったです。
成長させられる環境にいられたことに感謝です。
トラウマセラピではスーパービジョンが必須
海外の人は、皆さん口を揃えて、言われます。
「トラウマセラピーって一人でやってはダメ。」「相談できる人を必ず見つけましょう。」
トラウマを抱えているクライアントも大変だし、支援をするのも簡単ではないと思うんです。
だからこそ、支え合う職場の雰囲気を作っていたのだと今になってわかります。
心理カウンセラーが運営する職場
ドン先生をはじめ、心理カウンセラーが運営する職場ってブラックとは程遠いのです。
みんないい人。優しい。社内政治みたいなことは全くありません。
まあ、優しいからこそ、積極性がないとか、改革が遅いとか、色々贅沢を言えば弱みもありますが、、、(笑)
とにかく安心安全の過ごしやすい職場でした。
心理士として海外で働くデメリット
一般的なデメリットではなく、私が勤務したカナダ時代の職場のデメリットや弱い部分をお伝えしますね。
固定給ではなかった
私の勤務先は、月に30万円とか、そういう給料形体ではなかった。1回セッションして、4000円くらいだったかな。
だから、しっかり継続する効果的なセッションを提供しないと、生活に関わるのです(笑)
毎月の給料も、最初は5万とか、8万とか、到底食ベていけません。
1年とか2年とかかかってようやく20万とかもらえるようになりました。それからも少しずつは増えていきましたが、金銭的には大変でした。
トレーニングや研修にいく費用を捻出するのが大変でした。
職場が「働いている支援者を守る」という意味では、理想ではなかったのです。固定給をもらえる方が落ち着いて、臨床に専念出来ますよね。
ただ、今から思うと、歩合制と言いますか、仕事をした分だけ貰えるのは、臨床力を鍛えるのに、とてもいい経験になりました。
掛け持ちの人もいた
しっかりした固定給でなかったので、優秀な先輩カウンセラーたちはみんな他にも仕事をされていました。
大学で教えていたり、開業カウンセリングをしていたり、他の支援センターで働いていたり。
理想の職場という意味では、全員でなくても、大多数は常勤である方がいいと思うんです。
その職場にコミットできるという意味でも。
私が勤務していた頃、優秀な先輩カウンセラーは、他の仕事のいいオファーがあると、辞めてしまうなんてこともたまにありました。
この辺は、もっとビジネス的なセンスを持った人が支援センターを運営していると、優秀な人がセンターにずっと勤務できるのだと思います。
支援センターの建物
センターの建物が古い。ちょっと汚い(笑)
それなりに新しくて、綺麗な場所に移転したいと、いつもみんな言ってました。
移転が難しい理由は、資金不足です。資金や助成金はクライアントのカウンセリング代に当てることを最優先していました。
当然ですよね。
私がその職場を離れて数年後には、資金の目処がついて、新しくて綺麗な建物に移転したのです(笑)
環境のいい場所は、センター、支援者、クライアント、みんなにとってプラスになったようです。
簡単ではない
別にデメリットでもなんでもないのですが、虐待を受けた方の支援は難しいのです。
性被害になるとさらにですし、男性サバイバーになるともっとややこしいです。
そんな大変なクライアントさんに新米カウンセラーが担当するのはちょっと違うような気がします。
もちろんサポート体制は十分だったのですが、クライアントさんのことを考えると、今思い返すと申し訳なかったと感じる部分があります。
もちろん最初から上手くできる人なんていませんよね。
ただ、クライアントがクライアントだけに、支援センターとして、もっとなんとか出来なかったのかと思います。
心理カウンセラーとして最初の職場として理想だった
一見、カナダのバンクーバーで心理士として働く、というのは何となく華やかなイメージを持たれるかもしれません。
でも、実際に住んで仕事してみるとわかるのですが、最初数年は特に挫折や苦労の連続です。
そんな苦労を経験させて頂いたからこそ、私にとって理想の職場であり、数々の恩恵を受けられたのだと思います。
さらに、支援センターの弱い部分もあったからこそ、様々な学びになもりました。それらの経験が、今の私を作ってくれているのです。
オンラインの講座にせよ、総合トレーニングにせよ、支援者に何を伝えて、どうサポートするのか?
その辺は、カナダの支援センターでの経験が大いに役に立っています。
たくさんのご縁に感謝です。