開業カウンセラーになる|自己犠牲から自由への変容を支えるもの

こんにちは。

総合トレーニング参加者の「さくら猫」です。

私が開業カウンセラーを目指すようになるまでには、さまざまな紆余曲折がありました。

自己犠牲的な働き方をしていたときもあれば、

知識やスキルをインプットしようとエネルギーを注いでいたこともあります。

でも、もっと大事なことがあると気付きました。

この記事では、開業カウンセラーになるなら、知っておきたい「ありよう」についてお伝えしますね。

 

自己犠牲的に心理カウンセリングをする

 

自分が何になりたいのか、何をしたいのか分からず、模索しつづけた20代。

さまよった挙句、30代半ばで心理職の道へ。

大学院を卒業して心理士の資格を取る頃には、「専門家」になれると思っていました。

でも、資格はあくまで「一般道で運転してもいいですよ」という許可に過ぎず、ペーパードライバーだった私。

心の中では「新人心理士」なのに、周りからは年齢のせいで「経験豊富な心理士」と誤解されてしまう。

このギャップが私の自己犠牲的な働き方のはじまりでした。

 

 

お昼の休憩時間を削って無理なスケジュールを組んでしまう

不安が強いクライエントさんからの時間外の電話に1時間以上もつきあう

クライエントさんが直接主治医に伝えるべきことを、頼まれるがまま伝書鳩になる

「いい心理士」と評価されるために、質の足りなさを量で埋めようとしていたのです。

こんな働き方はいつまでも続けられるはずもなく

相手が期待通りにならないと「ここまでしてあげたのに」と腹を立て

恨みがましく思うようになる始末。

こんなことを何度も繰り返すうちに、問題は相手にあるのではなく、自分の中にあると気付いていき、

クライエントさんに「ノー」と言うことを意識しはじめるのでした。

 

 

自己犠牲が「普通」の心理カウンセリング業界

 

自己犠牲的な働き方をやめたいと思っても、

現実はそう簡単にはいきません。

「時間外に対応してくれて助かります」

「遅くまで残ってとても熱心ね」

一緒に働くスタッフは自己犠牲を美徳とする言葉を投げかけてきます。

そう、心理カウンセリング業界では自己犠牲が「普通」なのです。

新米だった心理士がそれなりに経験を積んでくると、ハードルは上がり無理難題が降りかかってくるようになります。

暴力行為を起して、出入り禁止になっているクライエントさんの担当を割り当てられる

「○○さんのときはやってくれていましたよ」と前任者を引き合いに、隙間なく予約スケジュールを埋められる

クライエントさんからの外線電話をカウンセリング中につながれて、目の前のクライエントさんとの会話が中断される

隙あらば入り込まれてくる感覚。

トイレに行くのも小走りで、戻ってすぐ次のクライエントさんに会う。

時間内に業務を終えられず、先に退勤していく同僚の姿を後ろ目に一人残って面接記録を書く。

なぜ、いつもこういう役回りになってしまうのだろうと自問自答がはじまる。

「働く」の言葉の由来は「傍(はた)が楽になる」なんて聞いたことがあるけれど、

傍が楽になった分、自分がきつくなっている気がして、釈然としない日々。

この頃の私は「雇われ心理士」に心底嫌気がさしながらも、

「開業カウンセラーになること」は叶うことのない夢としか思っていませんでした。

 

 

「ありよう」という土台、ソマティック・アプローチからパーツ心理学へ

 

自分がどんどんすり減っていくような感じになり、

「何か突破口を見つけたい」といろんなセミナーに行ったり、本を読んだりして、数年が経過。

変化のきっかけは誘われてたまたま参加した、海外発祥のトラウマ治療。

ソマティック・エクスペリエンス®のセミナー。

従来の言語的なカウンセリングしか知らなかった私には、

ソマティック・アプローチでよく言われる「身体に意識を向けること」の意味が最初よく分かりませんでした。

でも「これは今までのとは違う」と思ったことは確か。

以来、ソマティック・アプローチの世界に魅了されました。

それまで心理士として不全感が拭えないのは、

「知識やスキルが足りないせい」「経験が少ないせい」と思い込んでいました。

でも、それ以上に足りなかったのは、自分の感覚に耳を傾け、声を聞き、育てること。

自己犠牲的な働き方をしてしまうのも、本質的な課題は私自身にあると気付きました。

総合トレーニングと出会ってからは、知識やスキルも自分の「ありよう」という土台なくしては活かされないことを知り、

レンガのブロックをひとつひとつ積み上げるように、時間をかけて自分自身の土台を固めていったのです。

 

 

土台あってのソマティック・アプローチとパーツ心理学の学び。

その学びを深めていくプロセスで、今までだったら「邪魔者」としてしか扱っていなかった自分の中の嫌なパーツたちとも対話をするようになりました。

 

  • 物事をコントロールしようと頑張りすぎるパーツさん
  • 子どもの頃の傷が癒されていないチャイルドのパーツさん
  • 先延ばし癖のある現実逃避するパーツさん

 

それぞれに存在する意味があり、私のために頑張ってくれていたことを労う。

ソマティックやパーツ心理学、その他の様々な取り組みで、長年の自己犠牲的な働き方は、氷が溶けていくように少しずつ緩みはじめたのでした。

 

 

開業カウンセラーの先にある「自由」

 

今、私は「自由」に向かって日々を過ごしています。

それは決して、ストレスフリーな毎日というわけではなく、

むしろ起業を目指す前よりもTo Do Listの項目は増えました。

必要に迫られて慣れないITリテラシーを身に付けたり、

効果的なトラウマセラピーを行うために探求したり。

「起業なんて目指さない方が楽だったかもしれない」と思うこともあります。

それでも諦めないのは、「自由」へと少しずつ近づいている感覚があるからです。

 自身も生きづらさを抱えていたという安冨歩さんは、

その著書『生きる技法』の中で「自由」をこう定義します。

 



そもそも自由とは、何なのでしょうか? 
それはたとえば、植物をイメージしてみればよいと思います。ここに何かの種があるとしましょう。その種を十分に肥えた日当たりの良い土地に植えて、適当な湿り気を与えたならば、どうなるでしょうか。

その植物に適合する条件を与えれば、種はやがて芽を出して、スクスクと成長するでしょう。そうやって伸び伸びと展開している植物を見れば、気持ちがいいものです。私はこの伸び伸びと育つということが「自由」だと考えればよいと思います。自分自身の「種」を、その思う方向に伸ばすこと。

それが植物にとって自由であるなら、人間にとっても、これが自由だと思って間違いないのではないでしょうか。ゆえに、自由とは、思い通りの方向に成長することであると私は考えます。

<安富歩(2011):生きる技法.青灯社.より引用>


 

私は以前から「自由になりたい、自由になりたい」と念仏のように唱えていましたが、

私が求めていた「自由」とは、この文章そのもの。

開業カウンセラーを目指すようになったきっかけは、

「不自由から解放されたい」との思いだったかもしれない。

でも、私が求めている「自由」とは、もっとその先の自分という「種」が思い通りの方向に成長すること。

起業はその手段にすぎないと、今は思うのです。

 

 

「ありよう」という土台が育つための3つの環境的条件

 

「ありよう」が育つためには、それが育まれる環境が必要だと思うのです。

私の体験をふりかえると、この3つがあったからこその変容でした。

 

自分と向き合う時間を設けているか?

衣食住レベルでは充分満たされて、決して不幸ではないけれど

何かが満たされていない感覚は胸に通奏低音のように流れる。

それでもひどく困ることはなく、考えることをまた先延ばしにして日常を送る。

ただ、そんな毎日に満足しているか?

これから先もそんな人生を送っていきたいか?

必要なのは、いったん立ち止まって自分のために考える時間を作ること。

 

支えてくれる人はいるか?

いくら自分のための時間を設けても、一人で向き合うには限界があります。

とくに手に入れたいものが入手できないときは

「自分なんて、どうせこんなもんだから」

「はじめから、こうなると思っていた」

と「できない自分」を正当化するループにはまり込みやすい。

行動できない自分、諦めている自分に向き合うのはとてもつらい。

だから何か理由がほしくなるのです。

そんなとき同じ境遇にいる人、同じ道をたどった人の存在は

「苦しいのは自分だけじゃないんだ」と心強くさせてくれます。

 

心理的安全性が保障されているか?

心理的安全性が保障されている場を経験すると、人は自由に表現したい気持ちになっていきます。

そもそも私は小さい頃、授業中に手を挙げて発言するような子どもではなく、

勉強ができる子が積極的に答える姿を見て、内心「いいなぁ」と羨ましく思っていたものです。

大人になってからは会議や研修の場で意見を求められることが多く、

だんまりを決め込むわけにもいかず、心臓が鼓動を打つのを感じながら話すことも珍しくありません。

そんな私でも今では自ら挙手して質問したり、意見を言ったりするようになりました。

「この場では批判されない」「何を言ってもいい」という安心感を経験したためです。

「訊きたいことが訊けた」「言いたいことが言えた」感覚は、心の中に自信の明かりを灯してくれます。

自信がつくと、昨日までできなかったことを「やってみようかな」と一歩踏み出せるような気持ちになるのです。

 

 

知識やスキルよりも大事なもの

 

もしあなたが心理士として自信が持てなくて、不全感や不安感を埋めるかのように知識やスキルをインプットしているならば、まず「ありよう」という土台を育てることが大事。

地盤がゆるい土地にどんな立派な住まいを建てても、家はぐらついてしまう。

同じように、どんなに豊富な知識を持って、すばらしいスキルを習得したとしても、土台が固まっていなければ活かされることは難しいのです。

「ありよう」とはすでに在るのではなく、育てていくもの。

自分と向き合う時間を作り、支えてくれる仲間と、安心感を感じられる場で「ありよう」を育む。

これが自己犠牲から自由へと向かう私が得た学びです。